1963年創立 JAF公認クラブ
名古屋レーシングクラブ

HISTORYNRC 鈴鹿300km

Race History新春鈴鹿300Kmレースの変遷

1963.05
第1回日本グランプリが鈴鹿サーキットにて
開催
1963.07
名古屋レーシングクラブ誕生

日本グランプリに触発された故鬼頭忠男初代会長を中心に、十数名で同好会として誕生する。

1964.11
JAF加盟クラブとして正式にクラブ発足

会員約50人で正式にクラブ活動がスタートとなる。

1965.04
ハイスピード・ジムカーナ開催

NRC最初のスピード行事であり、中部地区での最初のモータースポーツ行事となった。

1965.11
第1回鈴鹿300kmレース大会開催

2クラブとの共催で開催。当時日本グランプリでさえも100km程度との短いレースであり、長距離レースの日本における皮切りとなった。今もなお続く新春レースであり当クラブの誇りである。

1966
鈴鹿500Kmレース、1000kmレース開催

鈴鹿を代表する耐久レースがスタートする。

1967.01
NRC、GSS、PCJ 関西共催の300Km レース

大会会長は故鬼頭元会長、石神豊弘競技長、大島一誠計時委員長。NRC 生みの親の田中勇氏が事務局長として運営にあたった。
野崎利之=クラブ員(ブルーバードSS) TS-1 優勝
内田修=クラブ員(プリンス2000GT) TS-2 2 位
他に矢吹圭造(ホンダS800) S-3 2 位

1967.06
中部地区初のJAF公認クラブに昇格
1968.01
NRC 単独にて全日本選手権300Km
として主催(ポルシェカレラ6、
フェアレディ2000など出場)

田中勇競技長、石神技術委員長、大島計時委員長、福山コース委員長、井上事務局長としてクラブ員が一丸となって開催に努力を払った。土曜日にレーシングコースが凍結し、クラブ員が凍らないよう夜中に愛車で走り回ったり、バーナーなどでコースを暖める。結局、300Km(50 周)の70%(35 周)で開催した。総合優勝は、ポルシェカレラ。

1969.01
全日本選手権第1戦
(ダイハツP-5、トヨタ7 など出場)

この大会から北村競技長になる。1 クラス46 台、2 クラス35台で各300Km を消化。
秋山啓一=クラブ員(ホンダS800) 1 クラス 総合5 位

1970.01
全日本選手権第1 戦(ポルシェ908、910、スカイラインGTR など出場)

この年は土曜日夜から雪が降り、そのため日曜日午前中は雪かきに追われ、それぞれ35 周のレースとなる。
優勝 松永選手(ポルシェ908)
伊藤一良=クラブ員(フェアレディ2000) 総合6 位

1970.06
第2回名古屋レーシングカーショー開催

吹上ホールにて中部経済新聞社との共催。レーシングカーの出品や会場特設レース場にてのレースなど、盛大に開催された。

1971.01
全日本選手権第1戦
(ダットサンスポーツ240Z など出場)

1 部門 総合優勝 田中弘(ニットラAC7)
2 部門 総合優勝 北野元(ダットサン240Z)
この頃、田中梅夫がファミリア1000 クーペでTS-1 に出場。

1972.01
全日本選手権第1 戦(ローラT212、セリカ1600GT など出場)サポートイベントとして「FJ+FL500」レース

この大会のFJ とFL500 の混走レースにクラブの事務局長である鬼頭正人と水谷敬一(ともにワールドAC9)が出走。鬼頭が見事3 位に入賞している。

1973.01
全日本選手権第1戦
(1300cc を境にTS / GTS の300Km レースとFL500 レース)

トップ争いの末、クラッシュした。その後ドライバーによるコース上での行為が問題となり失格となった。このような事故がモータースポーツでは危険がはらむこともあるので、二度と起きないで欲しいと願うレースであった。

1974
オイルショックにより中止
1975.01
FJ1300、FL500、300Km

300Km レース(50 周)はヒート1、ヒート2 に区分され、1 クラス、2 クラスの混合レースとなる。
FJ1300 レース 水谷敬一(ベルコ98A) 5 位
FL500 レース 中島悟(ベルコ97B) 優勝

1976.01
ガーネット鈴鹿200Km レースに変貌
(グループ5、7)

この年、耐久レースはなくなり「グループ7」(二座席レーシングカー)、「グループ5」(スポーツカ)のカテゴリーになる。
このレースのドライバーとサーキットの約束が問題をなげかけることとなる。北村競技長も大いに困惑したものと思われる。

1977.07
FJチャンピオンレース(東コース)

新しく3 階建てのコントロールタワーが完成する。近藤競技長、田中梅夫副競技長の体制の下で、ワンデーレースとして開催する。また大会参与に上岡龍太郎を迎えている。
優勝 中島悟(ノバホンダMF318)

1978.01
500Km 耐久レースとして主催

TS-1、TS-2、GTS-2、R の混走レースとして開催。

1979.01
サルーンカーによる300Km 耐久レース

1300cc までのサルーンカーの耐久レースに102 台が参加。60 台が決勝に出走する。但し、30 位までのヘルパーがキーを持ってかけ寄る「変則ルマン式」スタートで、その1 分後に31 ~ 60位が同じようにスタートする。

1980.01
サルーンカーによる300Km 耐久レース

この年は天候が悪く、レース中クラッシュが続発し、救急のレッカー車に衝突するマシーンが出る始末だった。このため、赤旗で短縮され、40 周240Km で争われた。

1981.01
サルーンカーによる300Km 耐久レース

クラブ員 山本満雄 18 位

1982.01
FF スーパーシビック300Km
レースとサルーンカー300Km レースの2レースとなる

300Km レースを2 レースこなす。
サルーンカー  佐藤浩二 優勝
シビックレース 越野照喜  3 位

1983.01
FFスーパーシビック300KmレースとFJ1600レース

FJ1600レース 木本正広 19 位

1984.01
FF スーパーシビック300Km
レースとFJ1600 レース
1985.10
グループA による300Km

グループA による300Km レースとなる。

1986.11
グループA による300Km
1987.12
グループA による300Km
1988.01
グループA による300Km
(ニューイヤーNRC スズカ300Km レース)
1989.01
新春NRC レースフェスティバル

この年、昭和から平成へと元号が変わる。平成初年度のレースはヨーロッパのフォーミュラー・フォードレースのようにFJ1600 の勝ち抜き式レースになる。

1990.01
新春NRC レースフェスティバル

FJ1600 と1600cc までのN1・300Km レース。

1991.01
N1 耐久ラウンドシリーズ

FJ1600 レースとN1 耐久ラウンドの第1 戦として開催する。

1992.01
N1 耐久ラウンドシリーズ
1993.01
300km&FJ トーナメント

シビックによる300Km レースとFJ のトーナメントレースを開催する。この年から新春レースを一時中断する。

1994~1998
開催中断
1999.01
新春NRC 鈴鹿ゴールデントロフィーレース復活
ネオヒストリック、ヒストリックレース

新春NRC 鈴鹿ゴールデントロフィーレースとして復活。東コースで開催。ヒストリックとネオヒストリックのスプリントレースを開催。

2000.01
スーパー7 レースを追加

東コースで開催。スーパー7 レースを追加する。

2001.01
西コースで開催。前日に積雪

西コースで開催。前日に積雪があり、レース開催が危ぶまれるが、オフィシャルの懸命な作業により、タイムスケジュールの遅れのみで開催する。

2002.01
新春NRC 鈴鹿ゴールデントロフィーレース開催

東コースで開催。ヒストリックレースと走行会で多量のオイル漏れがあった。

2003.01
50分耐久を2レース追加

ヒストリックとネオヒストリックの50 分耐久レース2 レースを追加する。

2004.01
新春NRC 鈴鹿ゴールデントロフィーレース開催

ヴィンテージ、BMW 走行会を追加する。

2005
ヒストリックスプリント、ネオヒストリック、ヒストリック50 分耐久レース開催
2006
ヒストリックスプリント、ネオヒストリック、ヒストリック50 分耐久レース開催
2007
ヒストリックF クラスを追加
2008
ヒストリックF・TS クラスに変更
2009
東コース改修のため西コースで開催。

コッパデ鈴鹿走行会が追加。耐久レースは開催されず。

2010
新生東コースでの開催。

NRC・KSCCの走行会をなくし、スーパーエコランを開催。

2011
新春鈴鹿ゴールデントロフィーレース・全日本ムジカーナ選手権・フォミュラニッポン最終戦が中止

新春鈴鹿ゴールデントロフィーレースが積雪により中止となる。東日本大震災により、全日本ジムカーナ選手権第1 戦が中止となる。フォミュラニッポン最終戦 台風の為中止となる。近藤幾夫会長が、JAF 名誉委員に任命される。

2012
ヒストリックPSスプリント、ヒストリックF・TS、ネオヒストリック、ヒストリック50分耐久レースを行う。

走行会はBRDC、コッパ・デ鈴鹿、NRC・KSCC走行会

2013
昨年と同様のレース、走行会を開催。

トライアルの2ヒート目をレース決勝の直前に行う。

2014
昨年と同様のレース、走行会を開催。

走行スケジュールをヒストリックPS、ネオヒストリック、ヒストリックF・TS、トライアル、耐久の順番に変更。当日、午前6時頃から降雪。コース上に雪はないが、コース外のグリーンには積雪となってしまった。スピンが続出し、赤旗中断。降雪が弱くなるのを待ち、9時30分からスケジュールを開始。練習走行をカット、レース走行距離を15周から12周に短縮など、何とか全てのイベントを行う。

2015
昨年と同様のレース、走行会を開催。

走行スケジュールはヒストリックPS、ネオヒストリック、ヒストリックF・TS、トライアル、耐久の順番。

2016
昨年と同様のレース、走行会を開催。

新春鈴鹿ゴールデントロフィーレース 参加台数64台

2017
昨年と同様のレース、走行会を開催。

新春鈴鹿ゴールデントロフィーレース 参加台数66台

2018
昨年と同様のレース、走行会を開催。

新春鈴鹿ゴールデントロフィーレース 参加台数73台

2019
昨年と同様のレース、走行会を開催。

新春鈴鹿ゴールデントロフィーレース 参加台数74台

2020
昨年と同様のレース、走行会を開催。

新春鈴鹿ゴールデントロフィーレース 参加台数71台

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